坂の上の雲・・・

トニー

2010年01月03日 12:21










 秋山真之参謀=NHKのスペシャルドラマではもっくんが演じているが・・・。
















 NHKでのスペシャルドラマ「坂の上の雲」が年末にやっていたが・・・。
この本を読んだのは20代後半だったか・・・?。

 東京でマーケティングの会社に勤めているときに、社長から薦められて読破した記憶がある・・・。
俺はそもそも、銃や戦争なるものに、それほど興味のない人であった・・・。(素養はあったと思うが・・・)

 マーケティングの修行時代に、戦争における戦略、戦術が実際の企業活動でもいかせるということから
段々とそういったものに興味を持つようになった・・・。

 修行時代、毎週1回勉強会があり過去の日本軍の戦況と戦略、戦術論を社長が師匠となって学習した。
そうした記憶の中でも、頭に残っているのは日本海海戦である・・・。

 TV版の「坂の上の雲」でも来シーズンに紹介されると思うが、日本海軍ココ二在リと言わせしめた栄光の戦績である。
世界最強といわれたロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊=バルチック艦隊海戦史上まれな一方的勝利として打ち砕いた
ことで有名である。
















 それ以前は後進国として見られていた日本が、列強に並ぶ大国へ進んだ海戦でもある。
これを成功させた立役者として名前がでてくるのが、秋山真之参謀である。

 その当時、ロシア海軍は日露戦争開戦時に日本海軍の3倍近い戦力を保有していたが、艦隊をバルト海、黒海、太平洋(および若干をバレンツ海)の各方面に分散させていたため、開戦時に対日戦に投入できたのは旅順およびウラジオストクを母港とする太平洋艦隊(正式には第1太平洋艦隊)のみであった。
 
 ロシア指導部は太平洋艦隊のみでは日本艦隊に対抗できないと判断し、バルト海艦隊(バルチック艦隊)から主力艦艇を抽出して極東海域へ増派することを決定した。派遣部隊として、ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー提督を司令長官とし新鋭戦艦8隻を基幹とするバルチック艦隊(正式にはバルト海艦隊から抽出された第2太平洋艦隊)と、ニコライ・ネボガトフ提督を司令長官とする補助艦隊(同じく第3太平洋艦隊)とが編成された。

 これらの戦力と既存の艦隊とを合わせれば、日本艦隊の2倍の戦力となるので、戦うまでもなく極東海域の制海権を確保できると考えた。
 
 これがいわゆるバルッチク艦隊である・・・。
なぜ日本海軍は、2倍の戦力を撃破できたのか・・・?

 その要因の1つは索敵であると言われている。
索敵とは、みてのごとく的を捜索することである。
 秋山真之参謀が立てた哨戒計画。バルチック艦隊を出来るだけはやく発見し、連合艦隊が出来るだけ有利に艦隊決戦を行うために、世界初の画期的な哨戒を行った。

 済州島と佐世保港を線で結び、それを一辺として正方形を描き、その正方形の中を碁盤の目のように細かく分画し、 その一つひとつに哨戒用の艦艇を配置し、水も漏らさぬ監視を行った。軍籍船舶以外にも漁船まで動員した哨戒艦船73隻で行った。

 この正方形の中の基盤の目=これは今ではメッシュと言う。RPGをやられたからならご理解いただけると思うが、メッシュの
1コマ1コマが戦況であり、そこに敵がいた場合にそこに駒を進めれば戦闘となる。

 この手法は、マーケティングにおいても利用されている。特にエリアマーケティングなどにおいて、競合=敵がいるエリアでの
営業戦略、戦術を策定し、遂行する上で重要な指標になる。

 もう1つは、丁字戦法である。
連合艦隊は秋山参謀と東郷司令官の一致した意見によって、丁字戦法を採用した。実際の進展は次のようなものだった。

1.敵艦隊に対して平行にすれ違う航路(反航)をとる
2.すれ違い直前で敵前回頭を行う
3.自艦隊の足の速さを頼りに敵艦隊の先頭に対して斜め後方から敵進路を遮蔽する(このため、実際には「丁」より「イ」に近い形になる)






























左図がその航行履歴である。
この時代の軍艦は砲の多くが舷側に並んでいるので横方向に砲撃できれば前後方向より多数の砲が使用できた。(宇宙戦艦ヤマトをみてもわかるが、主砲は艦船の軸線上に配置されている為、正面からの攻撃に使用できうる主砲は第一、第二主砲のみとなる。しかしヤマトの場合は1隻であるのでこれは仕方ない。ガンダムなどで描かれているソロモン攻略などでの木馬やサラミスなどは艦隊戦用の攻撃配置についていることがわかる。旗艦を前方に配置した同一軸線上配置ではなく、横に広くひろがる散開配置である。また艦の構造自体も、前方に砲火を集中できる主砲配備となっている。しかし、ミノフスキー粒子の散布により、長距離での艦隊戦配置はモビルスーツを敵前に送る援護射撃としてしか使用されておらず直撃はあまりなかったように思われる。近代戦争では艦隊戦というのはあまりなく、機動性の高い兵器による制空権奪取が重要であるといえよう。現代戦では、空母から発進する艦載機がモビルスーツの役割である。また現在は艦砲射撃よりも、航続距離の長い巡航ミサイルを備えたイージス艦のような船舶が主力となっている。)


宇宙戦艦ヤマト


サラミス級巡洋艦


マゼラン級戦艦


戦艦:クニャージ・スヴォーロフ


戦艦:三笠

k縦隊でまっすぐ進む敵艦隊に対して、その進路を横にふさぐ形、丁の字(あるいはT字)に似た体勢を形成できれば、敵の後続艦が艦隊戦では、遠いうちに、敵先頭艦が前を向いている状態で味方の全艦艇の側方から先頭艦へ攻撃を浴びせることが出来るため、圧倒的に有利な形勢となる。

 この戦法自体は海戦の定石として古くから知られていたが、敵艦隊もそのような形を避けようとする事と、交戦時間の経過に伴い相対的位置関係がずれてゆく(陸軍と違い、艦隊は絶えず航行している為)ため、実際に丁字を描くのは不可能に近いと言われていた。

 また、当時の海戦の常識から見れば、敵前での回頭(しかも2分あまりを費やしての160度もの回頭)は危険な行為であった。実際、回頭中はともかく、追撃中は旗艦であり先頭艦であった三笠は敵の集中攻撃に晒されており、被弾数48発の内40発が右舷に集中しており、帰還時の三笠は、突き刺さった砲弾の重みだけで、かなり右舷側に傾いていたという。しかし、一見冒険とも思える大回頭の2分間には、日本海軍の緻密な計算と英断が込められていた。それは次のようなようなものである。

 ・たしかに連合艦隊は2分間余り無力になるが、敵も連合艦隊が回頭中はその将来位置が特定できず、バルチック艦隊側も 砲撃ができない(実際、三笠が回頭を終えた後に発砲してきている)。
 ・当時は照準計の精度が悪く、第1弾が艦橋や主砲などの主要部に1発で命中することはごく稀であった。
 ・そのため、第1弾の着弾位置(水柱)から照準を修正して、第2弾からの命中を狙うことが多かった。しかしバルチック艦隊が   使用していた黒色火薬は、発砲後にその猛烈な爆煙によって視界が覆われ、煙が晴れて第2弾を放つまでに時間がかかる。(この点はガンダムオリジンなどでも描かれている。リュウホセイとハヤトコバヤシがガンタンクで出撃する際、リュウはハヤトに対して敵からまだ遠い位置でガンタンク上部の主砲2門をあまり撃つなと指示している。これはやはり爆煙による視界が遮られることを嫌うものであるが、宇宙世紀になっても火薬の改良がなされなかったということだろうか?)
 ・すなわち回頭中に第2弾は飛来しないか、慌てて撃つため命中精度が極めて低い。
 ・バルチック艦隊は当然旗艦である三笠を集中砲撃するが、東郷としては最新鋭で最も装甲の厚い三笠に被弾を集中させ、  他艦に被害が及ばないことを狙った。
 ・万一三笠が大破し、自らが戦死してでも丁字の状態を完成させることを最優先とした。東郷は砲弾飛び交う中、艦橋を一歩も動かなかった。
 ・また、前述の旅順封鎖中などの艦隊訓練により東郷は、各艦の速度・回頭の速さなどの、いわゆる「癖」を見抜いており、これが敵前大回頭を始める位置を決めるのに役立った。



 このように、常識にとらわれず、合理的に勝利を追求した結果、丁字戦法を成功させた。敵艦隊に対する十分な分析と、有効射程範囲のギリギリの所を見極めて「トーゴー・ターン」を決めた東郷の采配は、連合艦隊を勝利へと導いた。

 その他にも、気候条件なども要因に挙げられる(海戦当日の気象は、「天気晴朗ナレドモ浪高シ」とあるように、風が強く波が高く、東郷らの回り込みによって風下に立たされたバルチック艦隊は、向かい風のために砲撃の命中率がさらに低くなった。喫水線を高く設計したロシアの艦艇は、波が高いと無防備の喫水線以下をさらけ出すことになり、魚雷1発だけで撃沈された。さらにこの構造は波高の時は転覆しやすかった)。
(出典・参考:WIKI)

 ここで重要な点は、やはり常識にとらわれないこと、これ必須なりということである・・・。

 しかし、この海戦の勝利において日本帝国海軍は増長することとなり、大鑑巨砲主義による超ド級戦艦の建造計画を推進し、
悲劇の太平洋戦争を迎えることとなる。

 太平洋戦争の勃発とその敗北にはまた隠された事実があるのだが・・・。


 常識をくつがえす柔軟な発想で、危機を乗り切り発展したが、後進の愚者はその本質をわからずに増長する組織構造が悲劇な結果を招くようになる・・・。

 まさしく、現時代を映す鏡のような気がするのは俺だけだろうか・・・?
新し年を迎え、改めて過去から学び、今の常識を疑い、志をもって事をなすべきが日本男児であると・・・、
再認識する俺であった・・・。